2009年09月02日
Misc. / Think

ヨーロッパ・ピクニック

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ヨーロッパ・ピクニック計画。1989年8月19日、まだ身近な歴史。ハンガリーのショブロンに集結した1000人ほどの東ドイツ市民一人一人が自由を求めオーストリアへ脱出した。彼らは自分たちが冷戦を終わらせるとかって理由じゃなくて、自らのアイデンティティや家族の自由と幸せのために行動しただけだと思う。でも、こういった人々の思いや行動が集積することで世界が変わるんだと思う。ただ、ネーメトやホルンといった素晴らしい政治家達がいたことを忘れてはいけない。民衆の強い思いと行動、それを支える政治家がいて、はじめて社会が動くんだなと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/汎ヨーロッパ・ピクニック

ベルリンの壁崩壊から20年という節目のおかげで当時の情報をいろいろ目にすることが増え、恥ずかしながらようやく知った史実。でも、知って良かった。インターネットのおかげだね。

汎ヨーロッパ・ピクニック【nicoveideo : LIST】
(1/6)ハンガリーではじまる。(2/6)ハリーが夜中に森の中で30kgの丸太を抱えて走るトレーニングがグッと胸に刺さる。息子の体重と同じだ。息子を抱えて国境を突破するために。(3/6)東ドイツから、プラハ経由で、ブタペストへ目指す緊張のドライブ。(4/6)ピクニックと称して集会に参加していた市民が一斉に国境を抜け西側へ脱出していく。ある母親が転んで、こどもが地面に投げ出される。警備兵がその子どもを抱え上げ母親へ。ネーメトの強い決断。教会地下の秘密。(5/6)ネーメトと会ったコールの涙。ホルンの発表。鉄のカーテンの無効化と人々の歓声。(6/6)1989年11月9日夜。5ヶ月で生まれ変わる東ヨーロッパ。1年後にソビエト崩壊。

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