2011年03月18日
Misc.

東北地方太平洋沖地震

3.11 最初の地震直下。ボクは小腹が空いて塩ラーメンを作っており、まさに箸を手を伸ばした瞬間に揺れはじめた。どんぶりを片手に、熱い汁が手にかからないように慎重に台所へ移動。いつもなら揺れが止まるだろうというタイミングが来ても、まったく止まる気配すらなく、さらに大きな横揺れとなって来る地震。家の中の倒れたら不味いモノ等を棚から下ろし、植木鉢などを避難させ、TVを確認すると、、、あ、やばいかも。

奥さんは、コドモ1歳児なママ友同士で公園に出かけているところだったので、急いで出かける準備をして自転車で現場へ急行。でも、ラーメンも急いで食べました。伸びると美味しくないからね。

途中、踏切が全て通り抜け出来なく(電車が全て止まっていた)、迂回しながらなんとか到着すると、公園の中央付近でママ友同士で固まって避難していた。奥さんの名前を呼ぶと、少し安堵したような表情でこちらに気づいた。とりあえず、みな無事で良かった。公園には周囲で働く人々や、住んでいる方々が避難してきて人も多くなってきた。電話なども通じない、余震にも襲われる・・・そんな状況なので、とりあえず、その場に待機。一時間程経過して、余震も少なくなったので、日が暮れる前に皆一緒に帰宅。

実は以前から予定していた娘の副耳とデルモイドシストの手術入院があり、、余震と停電が心配であった。しかし、手術も無事に終わり、問題なく退院となりホッとしている。ただ、余震の続くなか、病室に付き添いで寝泊まりした奥さんは、かなり疲弊している。まだ抜糸が残っている。早くキレイな状態にしてあげたい。

自分自身は、原発関連のニュースや情報、憶測などに翻弄され疲弊気味であったが、自分なりにそれらを咀嚼して家族をどう守るべきか指針が決まってからは、やや落ち着いてきた。情報被曝な状態から抜け出せたかな。

1週間たったからといって区切りがつくわけもなく、毎日厳しい現場で戦っている人々がいる。昨日は16才の少年と80才のおばあさんが無事に救出※された。ハイチの時にも、地震発生から1週間瓦礫の下に閉じこめられていた8歳の少年と10歳の少女の姉弟2人が救出された。まだ、僅かではあるだろうが可能性は残っている。現地の人々に元気を送りたい。


大人の折り鶴もファミマから飛ばしました。野口英世の紙幣は本栖湖からの富士山の眺めで、鶴はいないんだけどね。ま、コマケー事は言わない。

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※エントリー自体を書き終えたのが3/21ですが、もともと地震から1週間経過した3/18に公開しようと思っていた記事なので、救出された方の日付と記事の日付があっていません。ま、そういうことです。

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sunday TOKIHOUSE *17